友達(1)

高校ではどういうわけか生徒会活動にのめり込んだ。
そもそものきっかけは一年生のときにクラス委員になったことで、私自身はどういうわけでクラス委員なんぞになったのかは覚えていないのだが、多分フレッシュな興奮に流される形で、その場の勢い以上の動機はなかった。
何事も生徒の自治を重んじる校風で、生徒会活動の一環として、リーダー研修会なるものがあった。泊り込みで生徒会役員が集まって討論するという、クラブ合宿の生徒会版のような行事だった。
なにしろ今まで生徒会活動なんてしたこともない私は、堂々と討論を繰り広げる先輩達の姿に圧倒されるとともに、憧れた。
言葉は悪いが、リーダー研修会が、自治活動が重要なものだということを洗脳する場だったとしたら、私に関しては抜群の効果があったと言える。
一年後には生徒会副会長に立候補した。


二年生の春、生徒会副会長としてリーダー研修会に参加することになった。
初日は剣道大会と重なっていて、剣道大会の参加者はあとから私が引率して研修会に合流する段取りだった。
私は中学時代には剣道部に所属し、一応有段者であったため、個人戦に出場した。
しかしながら剣道部員の猛者達に歯が立つはずもなく、敢え無く初戦敗退。リーダー研修会に参加する連中の試合が終わるのを、観戦しながら待っていた。


団体戦の決勝戦は、2対2のまま大将戦を迎えていた。
体育館は白熱戦に盛り上がるわけでもなく、次の試合でようやく大会も終わる、というだらけた空気のほうが強かった。
翌日は休みだったから、剣道大会の終わりはすなわち自由時間の始まりで、優勝の行方よりも、大会が早く終わるかどうかのほうが重要事項だった。
個人戦と異なり、団体戦はクラス対抗である。腕に覚えのある猛者達はみんな個人戦に出場するから、団体戦のほうはくじ引きで選出された名前ばかりのクラス代表達である。どうしてもやる気は今ひとつだし、初心者同士のただのチャンバラになることが多い。だから観戦のほうもそれほど熱がこもったりはしない。
大将戦は一方が面、もう一方が小手を取って、ラスト1本の勝負となったが、やはり緊迫感はなく、誰もが勝敗などどうでもよいと思っているようだった。
ところが、そんな空気の中で、一人だけ勝ちにこだわっている者がいた。
G組の大将、決勝戦の一方の選手である。
彼は突然、中段に構えていた竹刀を顔の高さまで引き上げ、八相に似た構えを取った。
おおっ、と観戦していた生徒達からどよめきが起こる。
剣道の授業では中段の構えしか習っていない。明らかに対戦相手は動揺していた。
そのまま八相に似た構えの選手は気合の声を上げて攻撃に出た。
垂れに付けた名札が正面から見えて、私はようやく気が付いた。
奇妙な構えのその選手こそ、私がこの後リーダー研修会に引率する同級生、大曽野だったのである。


駅まで歩き、バスに乗って研修会の宿舎に向かう間に、私は大曽野と話をした。
大曽野はたいして面白くもなさそうに私の話を聞いた。私の質問には面倒くさそうに答えた。
彼は監査委員で、生徒会の三役と同等の立場でありながら、今までまったく顔を合わせたことが無かった。真面目な生徒会役員として洗脳されていた私は、きちんと生徒会活動をするようにと、お堅いお説教じみた話をしたような気がする。大曽野が面白くない顔をしていたのも無理はない。
「小学校のときの友達とすごく仲が良かったからさ」
大曽野はため息混じりの口調で言った。
「それ以上の友達が出来ないんだ。昔の友達くらい理解してくれる人がいなくて」
これに何と答えたのかは覚えていない。
ただ、私にだって友達はいなかった。理解してくれる友人など、過去にさえいなかった。
剣道大会の話をした時は、大曽野は少しだけ楽しそうだった。
特に例の決勝戦の八相の構えについては、照れ笑いしながら教えてくれた。
「どうせ最後の勝負なら、自分の一番良い構えで行ってみようと思って」
八相の構えに似てはいるものの、そうではなく、自分で編み出した構えらしかった。
既存の型では、何かしら弱点やらデメリットがあって、どうにも納得がいかなかったのだそうだ。どう構えたら最も隙が無いか、攻撃がしやすいか、あれこれ悩んで考え出したのだとか。なんとも奇妙なこだわり方をする男だった。
そしてさらに、そんなオリジナルの構えを考え出すだけでなく、剣道大会の場で実践にうつしてしまう行動力もまた持っていた。
あの決勝戦は、そんな彼の性格がよくわかる出来事だったと言える。
それはその後20年にも渡る腐れ縁の中で、何度と無く思い知らされる大曽野の魅力であり、困った一面でもあったのだ。