BRINGERS(1)

mizcreid2009-05-31

軽い眩暈に似た不快感を伴いながら、シャトルは亜光速から抜け出した。
客席の窓を覆っていたシャッターが軽やかに開くと、銅色の地表を持つ星が視界の下半分を覆っていた。
「まもなく当機はアイドネウス・スター・ポートへの着陸軌道に入ります。到着予定は1425、およそ一時間後でございます」
極端に飾ったアナウンスの女の声は、窓外の星の姿とはまったくかけ離れていた。ブラッドは窓の外をぼんやりと眺めながら、巨大な鉄屑のようにも見えるこの星に不思議な親近感を覚えていた。
遥か遠い昔には、アイドネウスは星系の第九惑星と考えられていた。当時は亜光速エンジンどころか宇宙空間を航行する船さえ無く、極めて精度の低い望遠鏡でしかこの星の存在を確認する術が無かった。不確かな観測データに基づく計算では、アイドネウスが惑星に似た公転周期を持っていることは確かめられたものの、惑星と呼べるほどの大きさを持っていないことまではわからなかった。
しかし当時の人々は新惑星発見というセンセーショナルな言葉に酔い、アイドネウスを九番目の惑星としてしまった。惑星には神の名をつけるという古代の慣習に従い、死者の国の王であるアイドネウスの名を付けたのである。
すべてはアイドネウスの姿がはっきりと観測できなかったことによる誤解であるが、神話のアイドネウスの名が「見えざる者」に由来していたことは皮肉としか言いようがなかった。
実際のところ、アイドネウスは他の惑星の衛星よりもさらに小さい。
その事実が明らかになった途端、人々はアイドネウスを惑星の座から引きずり降ろした。言わばアイドネウスは惑星の中の落伍者だった。
今まで自分が所属していた場所から唐突に放り出される疎外感や痛み、ブラッドが共感を覚えるのは同じ落伍者としての経験かもしれなかった。
ブラッドは髪の伸び始めた頭を無造作になでて、ため息まじりに苦笑した。首都の養成所を離れてから半年が過ぎ、不適合の烙印を押されたことは忘れると決めていた。

シャトルは首都から小惑星帯を経由してアイドネウスへ向かう長旅の終点に近づいていた。
300席ほどの客席はほぼ半分が埋まっており、大半はブラッド同様、裕福とは言い難い服装の男たちだった。アイドネウスは開発途中の星で、訪れる者のほとんどは労働者である。多くの労働力を欲するアイドネウス政府は入港管理に甘く、犯罪者が法の目を逃れるために入り込むことも少なくなかった。
ブラッドもまた、出来ることなら管理の目を避けたい立場にあった。身一つで養成所を出て、身分を証明する物を一切持っていないブラッドにとっては、アイドネウスで人生をやり直す以外には選択肢は無かったと言ってもよい。
ブラッドはもう一度赤茶けた地表に目をやった。人の手が触れたことの無い広大な大地を持つ星は、新たなスタートに相応しく、好もしく思えた。
アイドネウスにはごく薄い大気しかなく、地表は凍りついた窒素とメタンに覆われている。メタンのオレンジ色のもやが、アイドネウス全体を銅色に見せている。ゆるやかに巨大な弧を描く地平線には、青みがかった大気の層が広がっていた。
その向こう側から、巨大な白い星がゆっくりと姿を現した。アイドネウスの弟星カロンである。カロンは氷に覆われた白色の星であり、大きさはアイドネウスの半分程度だが、アイドネウスとは二連星の関係にある。二連星であったことは、アイドネウスを実際よりも大きな星だと誤解させる一つの要因でもあった。精度の低い観測機器しかなかった時代、アイドネウスとカロンは溶けて一つに見えていた。
ブラッドはフィリス・ウェントワースの白い笑顔を思い出し、また一人苦笑した。アイドネウスがブラッドならば、フィリスがカロンであるはずがない。フィリスはいまだにあの養成所にいて、将来有望な「エレメンツ」だった。落伍者のブラッドとは違う世界の存在である。
軽く頭を振って無意味な感傷を追いやり、ゆっくりと迫りくるカロンに目を向けた時、ブラッドは奇妙な黒い点を見た。
ちょうどアイドネウスの青い大気の層の端、カロンの中心あたりに見えるその黒い点は、みるみるうちに大きくなり、その存在に気づいた何人かの乗客から、たちまちにざわめきが機内に広がった。
回転しながら迫ってくるその物体は岩の塊だった。ブラッドの目にはその岩石がまっすぐにシャトル目掛けて飛んでくるように見えた。
機内アナウンスのチャイムが鳴った。
「ただいまより着陸軌道に入ります。皆様シートベルトの着用をお願いいたします」
相変わらず気取りが鼻に付くその女の声は特にあわてた様子もなく、岩石の存在はシャトルの航行には何ら問題もないのか、乗客の何人かはカメラを向けてはしゃいだ声を上げていた。
ブラッドの前に座っていた男が小さく舌打ちして、乗務員の呼び出しボタンを押した。
背後からでは様子は見えなかったが、乗務員がやってくるまでの間、男がコツコツと指で肘掛を叩いている音から察するに、イライラしているか不安が募っているように思えた。ブラッドはシャトルに乗り込むときに見た男の印象を覚えていた。大柄ではないが引き締まった身体で、無駄のない動きをする狼のような男だった。歳はブラッドよりも少し上だが、生きていくための経験は十倍も積んだ風格を感じた。シャトルの近くを岩の塊が飛んでいるというだけで怯えるような男には見えなかった。
乗務員が近づいてくると、男は立ち上がって、
「完全に衝突コースだぞ。軌道計算をやり直せ」
岩石を指しながら低く言った。その間にも岩石は迫っており、今や表面のゴツゴツした様子までも見て取れる距離だった。
乗務員は岩石を見て明らかに顔色を変えた。男に返事をするのも忘れて内線通話機へとすっ飛んでいき、取り乱した様子で通話機に向かって何やらわめき出した。
男はそんな乗務員の様子を目を細めて見ていたが、窓の外に迫る岩石を振り向き、小さなため息をついた。そして自分を見つめるブラッドの視線に気づくと、
「間に合わないな。素人の船に乗るんじゃなかった」
ブラッドに向けて自嘲の笑みを浮かべた。
次の瞬間、横殴りの激しい衝撃が来た。