オタマジャクシの語源

先日、オタマジャクシを捕まえてきた。
うちの家の庭には生意気にも小さな池があるのだが、そこでカエルを育てようという企みに基づくものである。

何故にカエルを……と言うとこれまたいくつか理由がある。
一つにはカエルが好きだということ。
それから蚊の発生を防ぐという目的。
どういうわけかうちには蚊が多く、飼っているわんこをフィラリアから守るためにも蚊対策は重要である。
また、オタマジャクシは水の中のコケなどを食べてくれる。
池の内側についたコケを掃除してくれるので、これまた是非住み着いていただきたい理由である。

以上のような極めて切実な理由に基づき、オタマジャクシに移住を願った。
某公園でおおらかに暮らしていたオタマジャクシ十数匹を強引にも拉致監禁
うまい餌を食わしてやるとかなんとか言葉巧みに丸め込み、うちの庭の小さな池に住んでもらうことにした。
考えてみればひどい話ではある。
オタマジャクシへの感謝と謝罪の念を忘れず、せっせと餌をやろうと思う。

そういうわけで、ここ数日は池の底をうようよ泳ぎ回るオタマジャクシの姿を眺める機会が多いのであるが、その姿を見るにつけて思うことがある。

「オタマジャクシ」という名前のことだ。

ほとんど常識レベルの話であるので、「オタマジャクシ」という名前が「お玉杓子」に由来することは誰もが知っていることだろう。
味噌汁をよそう時などにお世話になる「お玉杓子」は、「オタマジャクシ」の姿と確かに似ている。

しかしここでちょっと考える。
「お玉杓子」と「オタマジャクシ」、どちらのほうが歴史が古いのか?

言葉の発生順で行くと、当然ネタ元である「お玉杓子」のほうが古いのは明白だ。
「オタマジャクシ」のほうが新しい言葉である。
では、現物の発生順はどうか?
カエルの子と料理道具、どちらが先に存在していたかと言うと、これまた考えるまでも無く、カエルの子のほうが古いはずだ。
何しろカエルは恐竜のいた頃にすでに存在していたので、人間の作った道具なんかよりも遥かに歴史は古い。

興味深いことに、言葉の発生順と現物の発生順が逆転しているのである。
これは一体どういうことだろうか。
我々人間は「玉杓子」を発明するまで、カエルの子たる「オタマジャクシ」の存在を知らなかったのであろうか?

そんなはずはあるまい。
我々日本人はかなり古い時代からカエルに親しんでいる。
その幼生の存在を知らないとはとても思えない。
ということは、カエルの子が「オタマジャクシ」と呼ばれる以前に、何らかの別の名前があったということではないだろうか。

言葉というのは時代とともに変わっていくものであり、物の名前もまた一様であるとは限らない。
“カエルの子”を意味する言葉が何か過去にあり、それが途中で「オタマジャクシ」に変わったのだろう。
例えばメンマのことを以前は「シナチク」と呼ぶことがあったが、今ではそう呼ばなくなったのと同じように。
(シナチクについては差別的な表現であるという判断で使われなくなったと思われる)

では一体、オタマジャクシは過去何と呼ばれていたのだろうか。
想像するとちょっと楽しいのだが、参考までに英語で何と言うかを調べてみた。

tadpole(オタマジャクシ)と言うのだそうだ。
これはTOAD(カエル)+POLL(頭)の合成語らしい。
なるほど、カエルの手足がない状態、というところから出来た言葉ということのようだ。
英語圏ではオタマジャクシは頭だけの生物みたいなイメージがあるんだろうか。
興味深いところだ。

で、日本でオタマジャクシがどう呼ばれていたかについては、とりあえず答えらしきものを見つけたので紹介しておく。
カエルの子が「オタマジャクシ」と呼ばれるようになったのは江戸時代からで、それ以前は「かえるこ」と呼ばれていたとか。
「かえるこ」とはまた……ストレートながらキュートなお名前。
他には俳句の世界なんかでは「蝌蚪」(かと)と言うらしい。
「蝌蚪」と書いて「かへるこ」と読ませるものもあるとか。
俳句は字数が限られているから、「オタマジャクシ」なんて長い言葉は使ってられないってのがあるんでしょう。

ちなみにやはり俳句の表現で「蝌蚪の紐」というのがある。
想像すると何となく「アレ」だなと思い当たるかな。
同じものを示すのに「数珠子」(じゅずこ・ずずこ)とも言うそうな。
数珠と言えば玉が紐でつながってる仏具だが、なるほど、俳句らしい詩的な表現だと思う。

「蝌蚪の紐」「数珠子」はそう、カエルの卵のことである。

そういうわけで、やっぱり「オタマジャクシ」には古い名前がちゃんと存在していたわけだ。
なかなか奥深いw
いろんな名前を見つけることができたから、この機会にうちの池のオタマジャクシの呼び名を変えてみようか。
そう、例えば……俳句での呼び名を使って「カトちゃん」とか(違

こんなふうに言葉のルーツを探るのもまた、一つの文章の勉強である……とか言って無理やりオチをつけてみるw